足立区の訪問はり・きゅう 快凛堂治療院
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「大切な人にずっと元気でいて欲しい」

そんな想いにこたえたい!!それが当院の心です。

院長からの挨拶&プロフィール

足立区の訪問はり・きゅう 快凛堂治療院

みなさまはじめまして
足立区の快凛堂治療院
院長の鈴木 快尚(よしひさ)です。


日本鍼灸理療専門学校卒 
鍼灸・マッサージ指圧師 

訪問介護員養成研修2級課程修了 
ガイドヘルパー研修終了 
同行援護従業者養成研修終了
難病患者等ホームヘルパー養成研修終了 

現在 父親の介護実践中です。 

快凛堂治療院

足立区西新井1-27-8
フリーダイヤル 0120-985-838
施術中や移動中に電話対応できない場合がございます。
折り返しご連絡致します。
mail:kairindou@ezweb.ne.jp

営業時間 8:00 ~ 17:00 (土曜日は12:00まで) 
休診日:日曜・祝日

 

治療家への目覚め 
10代で起こした交通事故の後遺症が原因で100件を超える整形外科、治療院、マッサージ店巡り。放っておけば治るだろうと思っていましたし、通院が面倒になってしまいやめてしまいました。後にこの判断が原因で後々まで引きずってしまうことに・・・。 
20代の内は疲れが溜まると痛みが出る。そんな具合でした。ですが、30代になると痛みというかもう、押さえていないと爆発しそうな痛みへと変わっていきました。事務仕事中などは患部を押さえ続け、一瞬離した隙にキーボードを叩く、その繰り返しでした。治療代はかさみ、最高時ひと月20万円を超えました。こうなるともうギャンブラーです。「このままでは人生終わる・・・意識の大変革をもたらさなくては・・・大変なことになってしまうぞ・・・そうだ・・・治療される側ではなく、治療する側に立とう・・・」。20年もかけて出した答えでした。 
程無くして、3年間で鍼灸あんまマッサ-ジの三つの資格が取れる専門学校を受験しました。とは言っても授業料他で500万近く必要でしたし、給料の大半を治療費に回してしまい、貯金などありません。自宅マンションを売却して入学金に充てました。こうして治療家への第一歩を踏み出したのです。

 

介護への目覚め 
20年ぶりに実家にお世話になることになったのですが、すぐに父親のあきらかな異変に気付きました。「年をとるともの忘れが多くなるけど、昔のことだけはしっかり覚えている」というような話を耳にしますが、過去にあった物事までおかしな物語を話すのです。 
家族はただ、「おじいちゃんになったんだよ」。と楽観的な意見でした。お酒を飲んだ時などは奇行も見られるようになりました。ある日などはタンスの中にあるすべての衣類を山と積み上げ、その横に引き出し部分をきれいに互い違いに積み上げていました。目を覚まし、異様な光景に驚いた父は、私のところへとんできて、「なんでこんなことをするんだ?」と詰め寄る始末。もう疑いようのない状態でした。診察してもらうと、「間違いなく認知症でしょう」と。脳のCT画像にも梗塞部分が黒い影としてはっきりと写し出されていました。 
浪費や暴力もエスカレートしていきました。毎日欠かさず飲みに行っては1000円しか使ってないからと。醤油一本買いにいっては何千円ものお菓子やつまみを買ってきてしまう。後で通帳をみて驚いたのですが、月に60万円は使っていました。100万円降ろしていた月もありました。老後の貯金などはどこかへ消えてしまいました。 
お酒を飲んでついて回るのが暴力です。ある日母親の悲痛な叫びで下階へ降りて行くと、 
そこには想像もつかない光景がありました。「叩かれた」と泣き叫ぶ母を見て、へらへらと笑っている父。夫婦喧嘩などない家庭に育った私には信じられない光景でした。この後顔にアザを作る程の状況が二度あるのですが、父を怒鳴り上げるまでで、殴ることができませんでした。病気であるとはいえ、もっと深い愛情があれば父を殴ってあげられたのではないかと今でも考えるときがあります。 
なぜ三度で止めることができたかというと、専門学校の最終学年の夏、仕事を辞めて国家試験に向けて本格的に勉強を始めだした矢先の出来事でした。母が交通事故で突然他界してしまったのです。父親との二人暮らし、家事と介護がいかに大変なことか、いかに自分が何もしてこなかったかを身をもって知る日々が始まったのです。悲しんでいる時間というか、一日終わらせることが本当に大変でした。同時に「介護について学ばなければ」との気持ちが固まり、専門学校卒業後すぐ、鍼灸治療院に勤めると同時に、ヘルパーの訓練校に通いました。  
治療院は北区で30年もの実績を持ち、また院長は中医学からケアマネージャーの資格まで持つ方で、治療院のみならず老人施設や個人宅への出張治療まで幅広く学ぶことができました。訓練校では介護の実技はもとより、机上論でなく現場に立ちつづける講師陣から介護に対する心構え、素晴らしさを学びました。実際教わったことを父に試していくことで、いろいろなことが出来るようになりました。

 

地域医療への目覚め 
介護について何もしらなかった私に区役所で教えてくれたのは、「まずは包括センターへ行ってください」ということでした。内情を話し、介護認定の為の申請書に記入すると、ケアマネージャーさんが後日自宅に来てくれるということでした。何よりも驚いたのは数日後に掛かってきた電話でした。包括センターのS課長からだったのですが、浪費する父の口座を止められるかどうか交渉してくれたそうなのです。現実には不可という回答だったのですが、S課長の実行力に前に進む勇気をいただきました。 
後日ケアマネさんが自宅にやってきました。どんな質問にも「出来ます」。「元気です」。 
を繰り返す父、ですがTベテランケアマネージャーさん(なんと父と同じ年)は見逃しませんでした。席を外して暴力のこと、浪費のこと、すべて聞いていただけました。数日経つと「老人センターに行ってみたいんだよな」と父から、今まで「絶対に行かない」の一点張りだった父が突然言い出しました。固まっていた心を解いていただいたのです。
父は脳外科と循環器内科に通院していました。もちろん一人では通えない為付き添いが必要です。ひと月に二回の通院、それぞれ次回の予約がいつになるかわからない状況で、仕事を休んで行くということは困難でした。Mケアマネージャーさんは一日で二科受診できる病院を調べてくれ、転院先を提案していただきました。加えてデイサービスとヘルパーさんを組み合わせる提案をしていただきました。冷蔵庫にあるものを適当に取りだして温めて食べるということができなくなっていたので、このことによって私が働きに出ることが可能となったのです。 
認知症からくる無気力と母を亡くした喪失感に囚われていた父に光を当てて頂いたデイサービスのS所長、N所長以下スタッフの皆様。行かなくてはならない場所ができ、しかもその場所が楽しい場所であること。薬よりも効果があるのでは?と父の表情が教えてくれます。 
デイサービスから帰ると、正直父は偏屈おじいちゃんに変身してしまいます。そんな父をなだめて食事の用意をしていただけるSeさん、Siさん、なによりも家に帰ってきた時に話し相手になっていただき、寂しさを感じさせないようにしていただけます。これがどんなに大きなことか計り知れません。 
包括センター、ケアマネージャーさん、デイサービススタッフ、ヘルパーさん、皆様のおかげで父は目に見えて認知症状が回復してきております。加えてヘルパー訓練校で教わったことを実行していくと家事など出来ることが増えました。地域サービスを受ける前に撮った写真と見比べると表情がまるで違います。そして皆様がいなければ、間違いなく家族が今こうして生活を送ることが出来ておりません。「皆様といっしょに地域医療に携わりたい」と素直に思い今日に至っております。本当に感謝しております。

 

 

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